「頭痛が痛い」という表現もそんなに間違っていない

定番の間違った表現として「頭痛が痛い」があげられてるのをよく見かける。

 

同じような間違いに「馬から落馬する」なんてものある。この二つが間違っている理由というのは重複表現らしいんだけど自分にはどうしても納得がいかない。重複表現だから間違いであるなら「ひとり言を言う。」なんかも間違いになるはずだ。"言"が連続するのを嫌ってどちらかを平仮名にする人も多いけど重複表現であることには変わりないし。

 

他にも

 

発な(火山)活動」「小言を言う」「洗い物を洗う」「山で山菜を取る」「被害を被る」「後ろ指を指される」「速度が速い」「今現在」「数字を数える」「卵が孵化する」「歌を歌う」「電流が流れる」「口を噤ぐ」「一言で言う」「歩道を歩く」「烏合の衆」「皆の衆」 

 

などなど例をあげればキリがない。若干「それは違うんじゃね?」なのも入ってるけどそこは気にしないようにしよう。

 

さて、それじゃ重複表現は他にもいっぱいあるから"頭痛が痛い"も正しい表現かと聞かれたら「現時点では正しくはない」が一番正解に近いんじゃないかと思う。

 

"頭痛が痛い"は有名人が流行らせたりしてどこか一カ所から発生したわけではなく、複数の無関係な場所から偶然に湧き出てきた表現だろう。こういうのは"ら抜き言葉"が受け身と敬語を分別するために徐々に生まれたように新しい言葉が生まれる流れの一つなんだと思う。

 

『なぜ"頭痛が痛い"が生まれたのか?』を考えるなら正しいとされてる方の表現を考えると何かわかるかもしれない。つまり訂正文として例示される"頭痛がある"、"頭が痛い"の二つである。

 

まず一つ目の"頭痛がある"については簡単だ。朝起きてきて「う〜、頭痛がある〜。」なんて言う奴はいない。わざと変なしゃべり方をしているか日本語を学習中の中国人かどっちかだろう。

 

いずれにせよ、くだけた喋り方の時に使う言葉じゃない。

 

二つ目の"頭が痛い"は自然な表現だし文法的にも正しい。んじゃ、これを使っとけばいいんじゃないかとも思うけど"頭が痛い"は慣用句としても使えるのでこの表現を使うと"私は今、困っていることがある。"との区別がつかない。

 

だけど"頭痛が痛い"という表現は自分の知る限り"体調不良として頭が痛い。"以外の使われ方を聞いたことがない。

 

つまり「頭痛が痛い」という表現は上記二つの”正しい表現”では表しきれない部分を補完する言葉なわけだ。

 

もちろん現時点では「頭痛が痛い」は間違った表現なんだから使うべきではないけども、20年もすると誰もが日常で使う言葉になってるかもしれない。

 

言語感覚というものは変化する前はその違和感が非常に気持ち悪く感じるものだけど、いざ変わってしまえばその違和感を思い出すことさえ難しい。はじめてナルトを見た時に覚えた「だってばよ!」への違和感も自分にはもうほとんど思い出すことができないから。