日常の変化を認識したい

日記を書きはじめてみることにした。またどうせ三日坊主で終わってしまうのかもしれないけど三日坊主を何度も繰り返せばそれは三日坊主ではなくなるというSNSで何度か目にした言葉を信じて書きはじめてみよう。

コロナ前までは数ヶ月を日本で過ごして残りはアジアの滞在費の安い国で特に何をするでもない生活を送っていたけど疫病でそれができなくなり日本から出ずに長期間いると何かがずっと停滞する感覚がある。これが自分自身の加齢のせいなのかこの国全体の空気がそうなっているのかはわからない。きっとその両方なんだろう。

今の仕事ではわずかな人としか話す機会がないし、以前は勉強会やゲーム会などに参加することで最低限の人との繋がりを保っていたけど今はそういう事もないので毎日の変化があまりにも少なく率直に言って退屈で困っている。

サトラレで凡人の絵描きが毎日変わらない風景を見ながら「ここには描くに値する物なんて何もない」と嘆く一方、天才であるサトラレの画家は同じ風景を見ながら如何にその風景が変化に溢れたものであるかを認識し日々素晴らしい作品を描き続けるという話があったけど、おそらく自分がいま感じている停滞の感覚も同じように自分の周りがよく見えていないから感じるものなんだと思う。

そんなわけで少しでも世界に対しての視力をあげて日常の変化を認識したく日記を付けはじめることにした。まだ色々と書けることはあるけど一度にそんなに書くとすぐにやる気が無くなるのでこのぐらいの分量で書いていく予定である。

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