政治の正しさは後世の人間さえも知ることができない。

「政治の正しさは後世の人間が決める。」という言葉があるが、正しくは「後世の人間だけが特定の行いが時代にどのような影響を及ぼしたかを知ることができる。」だ。

 

同じことのように思えるが大きく違う。国を動かすほどの大きな決断というのは「どのサイコロをふるかを選ぶ」行為に似ている、「麻雀で次に切る牌を選ぶ」行為と言ったほうが通じやすいかもしれない。

 

100人のプロの麻雀打ちが満場一致で選んだ牌をきるよりも、ド素人が何も知らずにきるほうが良い結果をもたらすかもしれない。もちろん前者が良い結果を生むほうが確率的には遥かに高いけど、奇跡的な偶然のツモでド素人の選択が良い結果をもたらしたなら、それは「正しい選択」となる。

 

何度も繰り返し行う麻雀ならば「それは間違っている!」と断言できるが、機会が一度しかなく、結果に影響をもたらす変数も膨大な歴史ではそんなことはできない。だから正しい結果をもたらした選択は「正しい選択だった。」と後の世で評価される。たとえそれが無限ループの世界に住む人間なら絶対取らない最悪の選択肢であっても。

 

「間違った選択が正しい結果を導くなら、選ぶ必要はないのか?」と思うかもしれないけど、もちろんそんなことはない。例え降水確率が80%で雨がふらないことがあっても、次の80%の日に傘を持っていかないのは馬鹿だ。大事なのはサイコロの目で6が出て欲しいときに、6があるサイコロを選ぶ努力、可能な限り6が出やすいサイコロを選ぶ努力。そのためにサイコロの目に何が書いてあるのかを見るのは想像以上に難しいけど、そのための努力だけは絶対に続けるべきだと思うんだ。